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私の目指す言語研究

 2007年度に6年越しぐらいに単位を貰った『言語学概論』の年度末レポートです。
 まぁこういうレポートの肝というのは、題材をどれだけ自分ならではの観点で料理するかというか、自分の身の回りに引き寄せるかというか……
……というのをなんか15年ぐらい前に読書感想文の書き方指南で読んだのでそれに忠実に

 自閉症から見た言語/コミュニケーション もしくは 言語/コミュニケーションから見た自閉症

 みたいな切り口で、体温37度越えぐらいの微熱っぽさで語ってみました。
 一言で言うと 青い な(笑)

 このテーマは今でも掘り下げてみたいとは思っているのですが、何を打ち捨ててでも今一番やりたいこと、ではないのですよね。う~む……

 興味のある方は追記をどうぞ~
 私が診断を受けたアスペルガー症候群とは、自閉症のうち、知的障害のないグループであり、高機能自閉症とも呼ばれる。

 高機能とは、発達障害ではあるが、知的な発達に異常が見られないということで、知能指数で言えば70程度より上をとらえることが多い。
 知的障害のある典型的な障害を『カナー型自閉症』と称する場合もあるが、カナー、アスペルガーとはそれぞれ、第二次世界大戦前後に自閉症を独自に研究した研究者の名前である。
 高機能自閉症とアスペルガー症候群を区別する専門家もおり、その場合、アスペルガーは特に『言語能力に障害がないグループ』とされる。

 自閉症、自閉性障害とは、生まれつきのもので、社会性の障害、コミュニケーションの障害、想像力の障害という『三つ組みの障害』がその特徴として挙げられる。これについては後述する。

 鬱や人格障害などで似たような状況に陥る患者もいるが、そういったケースと区別されるべきなのは、これが生まれつきの障害であり、病気や事故によるものではないということだ。
 よって、アスペルガー症候群についても、『アスペルガー障害』という呼び名を用いる専門家もいる。



 以下に、アスペルガー症候群の特徴であり、社会生活を営む上で大変な困難に直面する『三つ組みの障害』について述べる。(参考資料:日本自閉症協会 http://www.autism.jp/asp/)

 まず社会性の問題が挙げられる。
 人付き合いのルール、暗黙の了解がわからないといったものである。
 特に小さい頃などは、同年代の子と遊べないといったような特徴として現れることがある。

 次に、コミュニケーションの問題について述べる。これは、実際の会話で顕著に表れる困難である。
 不必要な細かい情報を何が何でも伝えようとしてしまう、
 どこかで覚えてきた難しい言葉や丁寧すぎる言葉、あるいは自分でも十分には理解していない言葉を日常生活でそのまま使ってしまう、
「最近どう?」といったあいまいな質問を理解することができない、質問の形をとった依頼等を理解できない、
 ジェスチャーや表情など言葉以外のコミュニケーションをくみ取ることができない、といったもののことだ。
 研究者によっては、アスペルガー症候群はこの障害を持たないと定義する場合もある。

 最後に、想像力の障害がある。
 相手の気持ちをくみ取ることが必要な遊びを不得手とし、柔軟性に乏しく、習慣やこだわりが日常生活に悪影響を及ぼすことも多い。



 これらの障害が、社会生活上困難とされ、自閉症者自身の鬱や人格障害などの二次障害へとつながることが多いのは、こういった特徴が一般的な社会では非常に悪く受け取られることによる。

 ひとつには、暗黙の了解は暗黙的なものであり、明示的に言葉や教科書で教えられなくても知っていて当然であるといった思い込みがある。
 また、相手が自分と同じように感じており、自分の感情はちょっとした仕草で伝わっているに違いない、ということも思い込みがちである。
 その上で、こういった暗黙の了解などのルールを破り、こちらが仕草で発信しているはずの感情を裏切る行為は、何らかの悪意があると受け止められることが多いことも指摘できる。

 暗黙の了解を、人間の顔かたちをしている者ならば知っていて当然のものであると思い込めば、それを破る者には何らかの他意があるということになる。
 この思い込みは、社会のおおまかな構成員である、健常者の側のみにあるわけではない。
 自閉者の側から見ても、相手の言葉をその通りに受け取っているはずなのに責められる、自分の言葉を曲解されるというジレンマと闘っていることになる。



 こういった衝突は、違った文化圏で育った者同士が出会った場合の摩擦でも起きうるが、そこから発展的に解釈して、自閉性障害の者は一般社会とは違った『文化』に生きている、と主張するグループもある。(参考:自閉連邦在地球領事館附属図書館 http://homepage3.nifty.com/unifedaut/)

 健常者同士の国際交流の場では、ほとんど必ずと言っていいほど、互いの国や地域でのならわしを教え合って、互いに親交を深めるといったワークショップが設けられる。
 自閉性の文化を提唱するグループでは、人前で話すことができるなど、比較的障害の軽い当事者が、自分の障害を社会に説明し、また、自閉者へ向け、社会のならわしの解説を自閉者の納得しやすい形で試みている。



 しかし、私はこれらのグループの活動報告や、彼らが発行した書籍に目を通して、疑問に感じていることがある。
 それは、自分たちのことを説明し、社会を自分たちなりに定義するだけでは、自閉者としてのアイデンティティの確立には役立つかもしれないが、社会と衝突しやすいという根本的な問題への解決アプローチが欠けているように見受けられることである。

 たとえば、自分は思い込みが激しいが、悪意はないと周囲に打ち明けたとしても、社会では『開き直り』と取られる可能性は高い。
 障害の性質への理解を得たとしても、そのような人間とは一緒に仕事をしたくない、と思われてしまっては意味は薄いと言える。
 支援者との間であれば、協力や配慮をしてあげる・してもらうといった関係になることは比較的容易だが、対等な関係を結ぶことは難しい。

 また、自閉者の認識する世界はとてもデジタルなものであると言われる。
 人によって個人差があるが、多くの自閉者にとって、見えないものや説明できないものは『ない』のである。
 しかし、社会活動全般のことを細部にわたるまで定義することは実質不可能だ。大きな法則を発見したとしても、無限に近い例外法則が必要となる。



 私が一般社会で生きていこうとする自閉者に必要だと考えるのは、自分が何者であるかという認識や、偏っていない社会の受け取り方もさることながら、日々の生活の中で出会っていく人々との円滑なコミュニケーションだ。

 まず、前提として、自分の奇異な行動は悪意があるものではない、という理解を得、一見自分に冷たい社会側のほうにも悪意があるわけではない、と理解することが必要である。
 しかし、それに必要なのは、言い訳や開き直りと取られる自分自身の説明や、厳密な社会の定義ではなく、社会一般を構成する健常者とのコミュニケーションにおけるスキルではないだろうか。



 私が言語研究に求めているものは、このスキル獲得の手助けとなる、ある水準までのマニュアルの確立である。

 スキルであるから、法則を暗記すればいいということにはならない。
 また、社会活動全般と同様に、言語の細かい現象に至るまで法則化することは困難であり、それを個人が暗記して言語運用に役立てるということは非現実的である。

 しかし、暗黙のルールとはいえ、ルールが存在する以上、ある程度までなら解明することができるのではないだろうか。
 必要最低限の水準までに限定すれば法則化し、スキルを磨くために利用することはできるのではないかと考えられる。



 私がこう考えるように至った経緯は、大きく二つある。

 第一に、高機能自閉症に関わるとある専門家から、私の言語や表情の選択、自分の発言をはじめるタイミングの選び方などが、自閉性障害を持つとは思えないほど健常者に近いと評されたことである。

 もちろんそれが世辞の混じらない評価だと受け止めているわけではない。実際、会話の中でほとんど視線が合わないという指摘も受けている。
 だが、私から他の高機能自閉症の当事者を見た場合、これは健常者に誤解や不快感を与えかねないポイントだな、と気になることが多くあるのは事実だ。

 私がこういった感覚を獲得したのは、私の母が『普通に見える』ということに強いこだわりを持っており、私の奇異な行動や発言を根気よく矯正し、いけないことだと教え込んできたためではないかと考えている。
 よって、こういった感覚はスキルであり、マニュアル化されたものを習得することを得意とする、一般的な高機能自閉症・アスペルガー症候群の当事者に役立てることができるのではないか、という発想に至った。



 もう一つは、大学で言語学を学んでの感想である。

 特に言語学概論と社会言語学講義の二つの講義で感じたことだが、こういった講義で『通常は意識していないが、こういう法則がある』と紹介されたもののうち、既に意識して役立てていたものと、それまで思い込んでいたこととは正反対だったことの二種類があった。

 前者は、たとえば、言語と定義や認識にまつわる法則、また実際のコミュニケーションで相手を不快にさせないための法則や、アイデンティティなどにまつわる研究である。
 逆に正反対の思い込みをしていたものには、言葉、主に主語や述語の省略や、暗黙の了解など、会話によるコミュニケーションに関することが多かった。
 以上の所感からは、相反した二つのことが考えられる。

 まず一つは、物事を定義づけて分析し、記憶するアスペルガー症候群からの視点が、ある程度は言語現象を正確に捉えることができるという可能性である。
 『暗黙の了解』を生得的に理解していないことによって、健常者とは違った、一種の部外者的な視点からの分析をすることが可能なのではないだろうか。

 また、逆に、言語現象を観察して法則があると考えていても、それは実際の法則とは異なっており、思い込みやこだわりに過ぎないという事実がある。
 このことは、それぞれ独自の視点から社会を定義し、把握しようという、従来の自閉者のコミュニティにも当てはまるおそれがある。



 よって、私は現時点では、独自の立場を活用しつつ、思い込みにとらわれない実際的な言語研究を志し、言語が真の意味での自閉圏と社会全体の文化交流のツールとなるような手助けができないか、と考えている。
 自分にしかできない仕事であると自負するほど傲慢ではないが、微力でもないよりはましと考えているものが、少しでも形にできれば幸いである。


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テーマ : 発達障害 - ジャンル : 福祉・ボランティア

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